EPISODE 逸話

MAKING OF 塩 ①

僕たちの塩炊き日記(レインボーキャンプ編)


2010年から続けている塩炊き。
この写真日記は、保養活動「海旅キャンプ」を一緒に立ち上げた同志、西ダッシュがオーガナイズする「RAINBOW CAMP」の中で行った2泊3日の塩炊きの様子。
ドラム缶でつくるかまど、塩炊き場のデザインなどをシェアしています。
僕ら(2011年から一緒に塩炊きしているゴリ君やこうすけくんと俺)はたいてい、
このような場作りをしています。



紙は神様、という言葉を装丁家の川邊君に聞いてとても納得しています。

今の文庫本は、流通過程で投げられたりするため、傷つきにくいようにビニールコーティングすることが暗黙のルールになっていたりするそうです。

僕たちが作ったこの本は、地元の簡易印刷所「レトロ印刷ジャム」でビニールコーティングしない自然な手触りのカバーを作りました。

そして、このカバーで本を包み込む作業は、すべて手作業です。

本作りも手仕事。

一冊一冊丁寧にお届けしたいと思います。



◎MAKING OF しお ②

『未来につなげるしおの道』の p197〜p206を引用しちゃいます。

僕は、塩炊きをしていて「ああ、塩炊きに必要な道具を集めていたら、災害時に必要な物資リストみたいになってきたな」と思いました。

そして、火起こし、真水と塩水の確保、場のデザイン、オーガナイズ、塩炊きにまつわる諸々が、野営、自営、自治、の肝の部分と繋がっていると、とてもはっきり感じるようになりました。

それ以来、毎年欠かさず塩炊きをしています。

そして日々の中では、草木染め、味噌づくり、餅つき、持ちよりご飯会、お節会などが、いざという時に支え合うための大事な日常と感じます。


・・・以下、引用・・・


塩炊きを始めた頃の覚え書き   Memo about Starting Shiotaki


塩炊きを始めた頃に考えたことや、やったこと。


多分、当分は忘れないし、やり続けていれば忘れる暇もないだろうけれど、人はいつ死ぬかも分からないし、いつ忘れるかも分からないので、なんとなく、ここでメモを取っておく。


もしかしたらこのメモが、未来の僕か、誰かのためになるかもしれないし、ならないかもしれない。





塩炊きに必要そうなものを、思いつくままにリストアップしてみたら、ほとんどすべての道具がシェアハウスの中にあった。


薪、鍋、釜戸、哪吒(なた)、火箸、柄杓、竹ざる、行平鍋、かすあげ、火打ち石、麻紐、軽トラ、羽釜、二十リットル寸胴鍋、十リットル寸胴鍋、やかん、ドラム缶、ロケットストーブ、時計型の薪ストーブ、キャンプ用テント、ドームテント、ティピ、バケツ、二十リットルのポリタンク、十リットルのポリタンク、キャンプ用テーブル、小型ソーラーパネル、ソーラークッカー、バイク用バッテリー、チャージコントローラー、ニッパー、ペンチ、針金、麻紐、絶縁テープ、3Wの手作りLEDライト、玄米、味噌、醤油、わかめ、昆布、オルファカッター、サバイバルナイフ、菜切包丁、コンポストボックス、豆炭、豆炭アンカ。


ほかにもリストアップしたかもしれないし、忘れているものもあるだろう。


足りないものも少しはあったが、知り合いに呼びかけたらだいたいのものは揃った。


それでも手に入らないようなものは「リストしてみたけど今回は必要なかったんだね」ということにしてあきらめた。


普段、日常的に皆で手仕事をしていることで、いざというときに必要なものが揃う。


そのことを改めて実感した。


そういう暮らしのあり方を日々培っておくことで、いざという時に力を結集することができる。


道具だけではなく、技術についても同様だ。


草木染めや餅つきのたびに釜戸を組むので、薪を割るのが得意になっている者もいるし、火起こしが上手になった者も、火打ち石を作れるようになった者もいた。


ドラム缶をサンダーカッターで切って、非常に調子のいい竈門を作れる者もいたし、石を積んで竈門を作れる者もいる。



最初の年は、三浦半島の先端から渡れる城ヶ島の北側の岩場の浜で、塩を炊くことにした。


海岸に着いたら、五つの石を空に投げて、石が落ちた場所を線で結んで「この場所を塩炊きをするために使わせてください」と海の神様にお願いした。


この方法は、日本で古くから伝わる移動民族が野営をする時の作法を参考にしている。


山の民が丸太を運びながら川を下る際にも、野営地を決めるときには、まず空に石を投げて、野営する場所を天に決めてもらってから、使用許可を乞うお祈りをしていた。


そして、セイジを炊いてすべての道具を清めてから、浜辺にドラム缶を置いて、大きな竈門を組む。


さらにその周りに、小さな竈門を三つ並べて組んだ。


ここが塩炊き場であり炊事場だ。


そこからちょっと離れたところに、ドームテントとティピとキャンプ用の小さなテントをいくつか張る。


大きな竈門の上に大きな羽釜を置いて、火打ち石で火を起こす。



この大きな羽釜は、沖縄ではハチメーナビと呼ばれている。


これは、僕が沖縄の米軍基地の回りをゴミ拾いして歩いている時に声をかけてくれた、とある集落の自治区長さんにもらったものだ。


沖縄では「ヒージャー汁」と呼ばれる山羊肉を使った鍋の炊き出しが地域ごとに行われていた。


このヒージャー汁の炊き出しに使われる鍋は「サンメーナビ」「シンメーナビ」などと呼ばれ、サンメーナビだと大体三十人分、シンメーナビだと大体四十人分くらいのヒージャー汁が作れる。


そして、ハチメーナビは八十人分のヒージャー汁が作れる大きな鍋だ。


ゴミ拾い中に声をかけてきた自治区長さんと立ち話しているうちに、僕はその翌日に自治会の倉庫の片付けを手伝うことになった。


その時に「うちにはシンメーナビもあるから。ハチメーナビはあげるよ。この辺は人口も減ってきてて、そこまで大きな炊き出しはずっとしてないから」と言うので引き取ってきて、そのままシェアハウスの倉庫に置いてあった。


このハチメーナビが、塩炊きをするのにバッチリだった。


海水は温めて沸騰させた後は、蒸発させ続けたい。


表面積が大きくて平べったいハチメーナビは塩炊きに最適かもしれない。


たぶん日本各地に、同じような形の炊き出し用の大鍋が、倉庫で眠っているんじゃないかな。


これらの大鍋は、塩炊き用に再利用したほうがいいんじゃないかな。


そんなことを思うようになった。



火打ち石で起こした火は、最初は海水を炊くための大きな竈門の中に入れられる。


竈門の真ん中に置いた、カラカラに乾かした杉の葉と松の葉とほぐした麻紐に火種を移し、そのまわりに置いた広葉樹の葉に引火させ、さらにその周りに立てかけてある、細かく割いた硬木に火を移していく。


そこからも、焦らずじっくり、細い木片を何本か燃やし続けていると、少しずつ竈門の中の温度が上がっていく。


竈門の中に手を突っ込んでいられなくなるくらい熱くなってきたら、よく乾いた薪を、細い順に、一本ずつ入れていく。


この際も、薪の断面をよく見て、木目を読む。


薪の木目の線が上下になる向きに置くと、木はよく燃える。


細めの薪を置き始めたあたりで、一旦立ち上がって、竈門の回りを見渡してみる。

もし煙が多めに立っているようなら、いい燃え方とは言えない。


竈門の中が熱いにも関わらず、外に煙がそんなに出ていないようなら、薪がしっかり燃えている証拠だ。


木を燃やすというよりは、ガスを含めた空気を燃やしている、そんなイメージで、薪を詰め込みすぎないように、空気の通り道を意識しながら、丁寧に竈門の世話をする。


そうするとそのうちに、風がしっかり通っていながらも、竈門の中の温度が上がってくる。


そして、竈門自体が呼吸をしている生き物のように感じられてくる。


竈門に命が宿った、と感じる瞬間だ。


この時、燃える薪から上がる炎の色が、橙や赤色だけでなく、青や白を帯びた多様な色彩になっている。


ここで一段落して、大きな竈門の中で息づいた火をいくつかに分けて、周辺に作った小さな竈門たちに移していく。


この時も、同じような根気と集中力を要する。


「なんでも、始まりが肝心だ」と思いながら作業する。


ここでしっかり丁寧に火を作っておけば「誰でも世話できる竈門」に育つ。


始まりが雑だと、そのあと、火はジャンジャン燃えるけど煙もモクモク出るジャジャ馬みたいな竈門になったり、中の温度の上がり下がりが激しい気まぐれな竈門になったりもする。


どんなタイプの火の神様を召喚するかは、最初のご挨拶と作法によるのかもしれない。


とにかくそうやって、火打ち石で火を起こしてから二時間くらいは、それぞれの竈門に生命を宿すことに、僕は集中している。


ほとんど何も話さずに、黙々とやっている。


そして、小さないくつかの竈門で、お茶を沸かしたり、米を炊いたり、みそ汁を作ったりする火も、そうやって、最初に火打ち石で作った火から分けて、大切に使う。


そして、最後にそれぞれの竈門に残った置き炭は、エスキモーの教えにならって「火の神様のご加護がありますように」という祈りのこもったお守りとして、参加者みんなで分ける。


祈りに始まり、祈りに終わる。


始まりから終わりまでの、塩炊きの道のりをみんなで共有できていることで、塩炊きはとてもスムーズに進む。


炊きあがった塩は、シェアハウスに持ち帰ってきて、1週間ほど、昼は天日に当てて、夜は室内に入れて、手で揉んでニガリを飛ばすことを続けた。


ちゃんと数えてはいないけれど、最初に塩を炊いたときは、二十リットルのポリタンクで十三杯分くらいの海水を汲んで、約五キロくらいの塩と一升くらいのニガリがとれたと思う。



そして、塩炊きから一週間ほど経ってから、塩炊きした海岸に戻って、ゴミ拾いをして、海岸のそばに住む人たちに塩を配って、自分たちなりのスタイルで海の神様に感謝のお祈りと、塩の奉納をした。


そして、お下がりとして、炊いた塩をシェアハウスに引き取ってきて、住人やご近所さんや友人たちに分けることにした。


一人ひとりがお守りとして、生活用として、味噌や醤油の原料として、その塩を使った。



・・・・引用以上・・・・



(最終更新 2024/1/20)

0 件のコメント:

コメントを投稿